2006年 12月 07日
12月7日(木)読売新聞朝刊記事の中で
購読している読売新聞で
12月7日(木)朝刊11頁の「論点」に「聾学校の言語教育 手話よりも読唇優先で」
北海道元小樽聾学校校長 森川佳秀氏の記事。

かつて聾学校で口話教育を受けた身として、拒否反応を起こす内容の記事。
聴力を少しでも発達させ、音声言語としての「ことば」を認識し、相手の唇から「ことば」を読み取れるようになっていく。
口話教育を受けた身として、それは全く根拠がない。
聴力がなくでもあとから読み書きで「ことば」を習得するのは経験的には可能。
唇から「ことば」を読み取る事を習得するのは千差万別、必ずしも誰でも出来ることではない。
仮に口話で「ことば」を読み取れるようになるのは、「ことば」を知っている事を前提にで。
したがって、聾教育の中では残存聴力を発展させて口話を習得させるのが優先ではない事を経験者としてアドバイスしたくなる。
そのようにして聾学校で学んだ生徒達が卒業後、各方面で活躍している。教員、会社経営、会社幹部、会計士など様々だ。
私の知る限り北海道の聾学校からそんな人が出てきたのか知らない。
卒業していった人に実際に会って聞いているのかを疑う。
ある恩師の話では、人つでに進路先アンケートデータを集めただけの「紙上データ」をそのまま道内某研究発表誌に載せているという。
活躍している口話習得対象者だけしか載せていないようで、それ以外の卒業生の記述は状況把握していても載せず、実情を伝えない研究発表内容に首をかしげていると。
成果をコントロールして口話を習得させた功績を残しているのではないか?と思う。
実際、私の報告も載せられている事を初めて聞き、ビックリする。
研究発表に使われている事を知らされず、憤慨を覚えた。
就職後間もないの「活躍」が載っていたが、10年たった今はまったく別の事をやっている。
それにしてもあの「データ」は今でもそのまま一人歩きしているのかが気になる。
私は、口話が出来るほうだといわれるが、逆に相手の言っている事はほとんど分からない。
正確には、声は聞こえても何と言ってるかはほとんど読み取れない。
長い間今でもこの辺りのジレンマを感じている。
手話を使わせないため両手を縛って教えたこともある。
ほとんど体罰であるに等しく、私の場合は手話使うと手を押さえられ、怒られた。
当時、小学生の私に手話は悪いものだと教え込まれるような空気を感じた。
人間は、転びそうになると利き足を前に出す。
1歳の子供は、指差してサインを出す。
聴覚障碍者は、何かを伝えようとすると両腕を動かす。
その人間の当たり前の動きを縛ってまで教えこむのはいかがなものか?
残存聴力を引き出すために音楽テープを何度も聞かせた。
ほとんどノイズにしか聞こえず苦痛を感じた。
音楽は一番楽しくない科目で、通信簿で1~2を貰ったのは毎度当然ながら。
最後の記述文は、手話の特徴を欠点として間違った解釈で書かれている。
教育現場において、手話は「読み書き」を理解させるのに必要な言語でもある。
口話教育に力を入れるあまり読み書きが疎かになってしまう危険性はある。
聴覚障碍者と健聴者の違いは「聞こえ」だけ。
それはそうだが、「手話」か「口話」かは選択の対象になるものではない。
両方あってこそ。
未だに教科書のペース通りに十分教えられていない聾教育現場の現状に背を向いた美談記事である事には変わらない。
※全文記事はヨミウリオンラインにて。
12月7日(木)朝刊11頁の「論点」に「聾学校の言語教育 手話よりも読唇優先で」
北海道元小樽聾学校校長 森川佳秀氏の記事。

かつて聾学校で口話教育を受けた身として、拒否反応を起こす内容の記事。
聴力を少しでも発達させ、音声言語としての「ことば」を認識し、相手の唇から「ことば」を読み取れるようになっていく。
口話教育を受けた身として、それは全く根拠がない。
聴力がなくでもあとから読み書きで「ことば」を習得するのは経験的には可能。
唇から「ことば」を読み取る事を習得するのは千差万別、必ずしも誰でも出来ることではない。
仮に口話で「ことば」を読み取れるようになるのは、「ことば」を知っている事を前提にで。
したがって、聾教育の中では残存聴力を発展させて口話を習得させるのが優先ではない事を経験者としてアドバイスしたくなる。
そのようにして聾学校で学んだ生徒達が卒業後、各方面で活躍している。教員、会社経営、会社幹部、会計士など様々だ。
私の知る限り北海道の聾学校からそんな人が出てきたのか知らない。
卒業していった人に実際に会って聞いているのかを疑う。
ある恩師の話では、人つでに進路先アンケートデータを集めただけの「紙上データ」をそのまま道内某研究発表誌に載せているという。
活躍している口話習得対象者だけしか載せていないようで、それ以外の卒業生の記述は状況把握していても載せず、実情を伝えない研究発表内容に首をかしげていると。
成果をコントロールして口話を習得させた功績を残しているのではないか?と思う。
実際、私の報告も載せられている事を初めて聞き、ビックリする。
研究発表に使われている事を知らされず、憤慨を覚えた。
就職後間もないの「活躍」が載っていたが、10年たった今はまったく別の事をやっている。
それにしてもあの「データ」は今でもそのまま一人歩きしているのかが気になる。
私は、口話が出来るほうだといわれるが、逆に相手の言っている事はほとんど分からない。
正確には、声は聞こえても何と言ってるかはほとんど読み取れない。
長い間今でもこの辺りのジレンマを感じている。
手話を使わせないため両手を縛って教えたこともある。
ほとんど体罰であるに等しく、私の場合は手話使うと手を押さえられ、怒られた。
当時、小学生の私に手話は悪いものだと教え込まれるような空気を感じた。
人間は、転びそうになると利き足を前に出す。
1歳の子供は、指差してサインを出す。
聴覚障碍者は、何かを伝えようとすると両腕を動かす。
その人間の当たり前の動きを縛ってまで教えこむのはいかがなものか?
残存聴力を引き出すために音楽テープを何度も聞かせた。
ほとんどノイズにしか聞こえず苦痛を感じた。
音楽は一番楽しくない科目で、通信簿で1~2を貰ったのは毎度当然ながら。
最後の記述文は、手話の特徴を欠点として間違った解釈で書かれている。
教育現場において、手話は「読み書き」を理解させるのに必要な言語でもある。
口話教育に力を入れるあまり読み書きが疎かになってしまう危険性はある。
聴覚障碍者と健聴者の違いは「聞こえ」だけ。
それはそうだが、「手話」か「口話」かは選択の対象になるものではない。
両方あってこそ。
未だに教科書のペース通りに十分教えられていない聾教育現場の現状に背を向いた美談記事である事には変わらない。
※全文記事はヨミウリオンラインにて。
by sapoten-sta | 2006-12-07 22:32 | 聴覚障害者






